“私”の出産赤ちゃんの名前 みさちゃん(仮名)
予定日
200x年 10月19日
生まれた日と時間
200x年 10月29日 00時32分
出生体重 3120g
生後6週になる次女を抱いている時、赤ちゃんを私が守っていて、その私を押尾先生が大きく抱いて守ってくださっている、という気持ちになります。
今回の妊娠は、日本で妊娠判明後、夫の留学が決まり、妊娠7ヶ月で渡米し、新生活準備をする、という忙しい日々の中だったので、なかなかお腹の赤ちゃんとじっくり向き合うということは少なかったのですが、なでしこの検診に行く時はゆっくりと赤ちゃんのことや、出産時のことを考えられ、貴重な時間になっていました。4歳の長女も赤ちゃんの誕生を心待ちにして、いつもお腹に話し掛けてくれ、赤ちゃんへのプレゼントを作ったり、病院に持っていくお守り?を作ったりしてくれていました。
ところが、予定日の10月19日から日が一日一日と過ぎていきます。予定日を過ぎ1週間目に赤ちゃんは大丈夫だろうか、という不安で居たたまれなくなり、胎動もないような気がして、急遽押尾先生に診ていただきました。心音を確認して、ノンストレステストをして、先生に「大丈夫よ」と言われると、ほっとしました。さらに次の日にはエバーグリーン病院で、羊水の量や胎盤の様子を超音波で見て、とてもよい状態、という結果を聞き、とにかく待つしかない、、、と覚悟をきめ、陣痛が来なくてイライラした気持ちを、「もう笑っちゃうな〜」とほんの少し開き直る余裕も出てきました。予定日から9日すぎた28日には、昼間2時間散歩し、まだ買っていなかった新生児用の帽子を買い、今晩にも陣痛きてね!と祈るような気持ちでした。
その28日の夜は、長女を寝かしつけ私も一緒に少し寝たら夜9時でした。また陣痛が来ていないことを多少がっかりしつつ、次の日のお弁当の準備をしていたら、9時50分に急にズン、と腰に痛みが来ました。陣痛かな、と思ったもののその日までに何回か痛みが来ては止まるということがあったので、半信半疑でした。けれども2回目の痛みが15分後、次は13分、7分とどんどん間隔が短くなり、押尾先生に電話をし、「子宮がやる気になっているうちに産みましょう」と言われたときには、「万が一これが陣痛でなくても、絶対今晩産むぞ!!」とやる気になり、陣痛が来た事をとても嬉しく思いました。
病院に向かう車の中で陣痛が5,6分おきになり、病院について検査をうけた後には子宮口が8センチ開いていることがわかりました。前回と違って、まだ痛みにも耐えられ余裕があったので、もうそこまで進んでいることにびっくりしました。そこからはあっという間で、個室に移り、少しするといきみたくなり、大声をあげながらいきんでいたら、ずるっと赤ちゃんが出てきました。陣痛開始から2時間半でした。
四つんばいで産み、赤ちゃんをすぐに腕で抱いたときの赤ちゃんのぬるっとした暖かさは、赤ちゃんが生きている!という感じがし、一生忘れられない感覚になりました。(長女のときは、ゆっくり抱いたのは次の日で、寒い部屋だったので赤ちゃんの体が冷たい、、というのが第一印象だったのです。)
陣痛の間、夫は腰をさすってくれ、長女にも「お母さんは大丈夫だからね」と声をかけてくれました。長女は私の靴下を脱がしてくれたり、荷物を運んでくれたりかいがいしく動いてくれましたし、事前に「お父さんはお母さんを助けるためにいるから、あなたはおとなしく部屋にいるんだよ」と私が言い聞かせていた通り、出産の最中の私の声に驚きながらも、おとなしく目を見開いて見ていたそうです。
出産が終り、赤ちゃんに授乳をしたり、一緒にまどろんだりしている間、「“私”が産んだ」と何度も思っていました。前回も当然私が産んだのですが、前回は自分が産んだという実感があまりわかなかったのです。今回は何が違うのかといえば、押尾先生や家族が暖かく見守る中で産めたこと、出産後すぐの抱っこや授乳など、赤ちゃんとじっくりと最初から触れ合えたこと、だと思います。この「“私”が産んだ“私”の赤ちゃん」という感覚は、産後すぐからの大変な子育てのエネルギー源になっていたように思います。また今も、子育てで困ったときには、先生に聞いてみれば大丈夫、という安心感が、私を支えているようにも思います。
長女は、しばらくの間、何度も赤ちゃんが生まれたときの様子を絵に描いてくれました。バースボールにもたれかかり四つんばいになっている私、足の間から生まれる赤ちゃん、へその緒がついている赤ちゃん、などを描いていました。彼女にとってこの経験がどういう意味を持つのか、将来長女が大きくなって聞いてみるのを楽しみにしています。
「情報ページ」へ戻る
|