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お産体験記 2006年6月掲載
 

葉なでしこで、おとうとが生まれたよ

赤ちゃんの名前  こうちゃん
上の子の名前 あさ君
お父さんの名前 ひで
お母さんの名前  ゆき
予定日 2005年3月5日
生まれた日  2005年3月14日
体重  3430gm

 次男がクリニックでお世話になり、ばたばたと時間が過ぎていきました。無事に1歳になり、改めて思い起こして書いてみました。まるで昨日のことのように思い出せることばかりで、私にとって非常に深く濃い妊娠出産であったんだなあと再認識しました。

 内容については、私個人の体調や生活環境によるものが主なので、それをご了承下さい。

発覚 (2004.7

妊娠が分かった時には少々驚いた。主人の駐在に帯同し渡米してから、まだ2ヶ月足らずだったからだ。とは言え、2人目もぜひ授かりたいと思っていたので、素直に嬉しかった。

妊娠したかな、と思ったのは、朝起き抜けから体がポッポッと熱かったからだ。風邪を引いて熱っぽく頭が痛くて・・・というのとは少し違う、気温も服装もいつもと同じなのに、体が熱く、一日中眠かった。生理前に気分が沈んだりイライラしたり体調不良を起こしたりするという、いわゆる月経前症候群のようなものは今まで殆ど感じたことが無かったが、生理前は体温が少し高くなるものだから、きっとそれで熱っぽいのだ、めずらしく敏感に感じてしまう月もあるのねぇと思っていたのだが、その「ポッポ状態」がどうも治まらない。

アメリカだって妊娠検査薬あるだろうな、とドキドキしながらBartell Drugsへ。「生理予定日の2日前から診断可能!」なんて書いてあって、「本当かぁ?」なんて独り言を言いながら、なんとなく女性店員のレジに並んで購入。日本の検査薬は「生理予定日の1週間後から」というのがほとんど。予定日前に検査出来るなんて、すごい〜!とやや興奮。日本でのママ友達に教えたくなる。

  でもこういった自分で出来る妊娠検査薬の存在というのは、良くも悪くも心を揺さぶるもので、妊娠が分かったと病院に行ったら「まだ早すぎて胎嚢が見えない」と出直しを命じられたというのは良く聞く話・・・私もめでたく陽性は出たものの、この早い段階で反応する検査薬に戸惑い、「まだ行ってもハッキリ分からないかも」「ちゃんとお腹で育っているかしら」と嬉しさと不安が交錯する中で、「やっぱりどちらにしても、病院に行っておかないと!」と意を決しなでしこの門を叩く。。

なでしこクリニックへ

なでしこクリニックのドアを開けると、そこは明るい誰かのお宅の一室のような雰囲気。

市販の妊娠検査薬で確認したにも関わらず、判定の色が薄いような気がしたりしなかったりでと、ごにょごにょ話をしたら、すぐに尿検査をしてくれた。修子さんが「おめでとうございますー!」と診察ルームに陽性を知らせに来てくれて「うんうん、大安心」と嬉しくなる。

最初の診察では、自分達家族のことや親戚も含めた既往歴などの問診、「配偶者からの暴力は?」「家に銃は置いてあるか」などの質問に、アメリカで妊娠した自分を改めて実感する。

  今回の妊娠については、私は長男出産1年後に生理は再開していたのだが、母乳育児を続けていたからなのか、渡米準備に生活リズムが不安定だったのか、なかなか生理サイクルは安定せずにいた中でのものであった。そんな中での妊娠で、予定日算出の必要性もあり、私自身の不安も大いにあり、そういう気持ちを汲んでくれたのか、初期の超音波検査(ウルトラサウンド)を先生はアレンジしてくれた。

アメリカでは通常、妊娠20週前後に1度きりの超音波診断。胎児の骨格や臓器の状態が観察しやすい、かつ、性別判断も出来るという合理的なタイミングのようであるし、保険でも超音波検査1回分をカバーというところも多い。日本では妊娠と言えば超音波見まくり、写真取りまくりなので、保険も使えないのに毎回大枚はたいていたし、ある意味安心材料にもなっていた。どちらが良いのか、微妙なところではある。前の妊娠時、検診毎に、まるで当たり前のように気軽にお腹の赤ちゃんに逢っていた私は、今回の妊娠の数少ない超音波画像のチャンスは非常に忍耐を求められる部分も多く、お腹に居るのに様子の見られないということに対してのジレンマも大きかった。20週の超音波を今か今かと指折り数える事も多かった。しかし、出産後の今の結論から言うと、この数少ない超音波診断は、「必要かつ十分なもの」であったのかとも思う。本来の妊娠出産とは、自分の体と気持ちと向き合うことであり、常に画像と向き合うことではない、のかな、という気もする。

初期ウルトラサウンド

クリニックで病院予約と通訳さんのお世話までしてくれた。まだ車の運転も出来ず、英語にも海外での妊娠にも不安たっぷりの私は家族総出で病院に赴く。出産病院にもなる予定のEvergreen Hospitalは小高い丘の上に立つ大きな病院。立派なたたずまいに、単純ながら安心する。

 通された診察室は、清潔で気持ちよく、ベッドの脇には家族用なのかちゃんと椅子も用意され、天井にはキラキラと星のイルミネーションライト。まるでプラネタリウム。2歳の長男も目がキラキラである。受付から技師から医師から、とにかく男性には会わず、なんだかとても特別扱いされた気分。「いやいやあっしは、たいしたタマじゃありませんから、そうお気を遣わずに」というところなのだが、とっても快適、とっても嬉しいというのも本心。

日本では「妊娠は病気じゃないから」と言われるが、妊婦にとっては新しい命を胎内に抱える非常にストレスフルな状況。周囲にも医師にも「病気じゃないんだからつわりでも出産でも耐え切れないのは本人の堪え性のなさ」という雰囲気を醸し出されることもしばしば。だからアメリカの「医療はサービス業」「妊婦は未来に命を繋ぐ誇らしい存在」的な考え方は、私にはとても新鮮であったし、これからの妊娠期間をこの国で満喫してみよう、二人目は前と違う出産もいいな、と思わせられる。

 診察は丁寧に行われ、質問事項は通訳さんを通してしっかりと納得のいく会話もでき、病院1階のスタバで美味しいコーヒー(カフェインはほどほどに〜)を片手に笑顔で帰路につくことが出来た。予定日は35日。

診察内容は医師より押尾先生にすぐ連絡されるので、次にお伺いした時には、既に互いに経緯がわかっており、安心であるし、アドバイスも受けやすい。

 後日、この超音波診断の結果を元に再度なでしこの検診へ。無事正常妊娠と確認され、少しだけ始まったムカムカ感と一緒に、これから始まる「アメリカ新妊婦生活」に思いを馳せた。

つわり

妊娠全期間含めて何が嫌だと言って、私はやっぱり「つわり」。

 今回も長男の時とほぼ同じく、妊娠10週から14週がピーク。眠くムカムカと生唾を飲むような気持ちの悪さ、食欲減退、無気力。先生に教えていただいた「ショウガ」関係を色々試した結果、夏場ということもあり、きりりと冷やしたジンジャーエール(今調べたら、なんとショウガが入っていない?ことが判明。なんてこと・・・)と、おろしショウガたっぷりのツユでいただく素麺がしのぎやすい。

 ずっと船酔いしているような感覚は慣れることも慣れたいワケもなく、ただただ部屋で倒れていたいのに響き渡る長男の誘う声、ようやく重い腰を上げ出かけた夕方の公園にて少々の気分転換をしたものの、今日も誰とも喋らなかったなとか、ホカ弁が近くにあったらなとか、またすぐに救われない孤独さんに戻り、鬱々とした日々。ある日はTV Japanの朝ドラ再放送で日本の海の風景が目に飛び込み、あぁ綺麗だなぁと思った瞬間に涙があふれて、妊娠で感情が尖っているのか、ホームシックなのか、とにかく自分は疲れているんだなあと再認識。一時帰国を考える。

 食べたいものがあっても、ここアメリカでは材料を探して自分で作らないとだめなものばかりで、「あぁホカ弁」「あぁデバ地下」「あぁ焼き鳥」「あぁ塩ラーメン」と日々嘆く。QFCのデリから漂う(ように感じた)アメリカンな匂いがだめになり、2ヶ月近く出入り出来なくなる。体力の落ちてくる夕方はドロドロとへたり込む日も多く、買出しは会社帰りの主人となる。

メロンでもスイカでも買ってきたら一気に一口サイズに食べやすくカットしてタッパーに入れて冷蔵庫へ。缶詰フルーツも冷やしておく。冷たいジュースは美味しいけれど舌に残った糖分がさらに悪心に追い討ちをかけることもあるので、冷水に少しジュースやレモンを混ぜてすっきり飲む。ゴハン炊くのが辛かったら冷凍うどん。普段は手を出さない宇和島屋のレトルト食品(炊き込みご飯の元とかパスタソースとか)だって自分用に家族用にこういう時ばかりは。こんな風に乗り切ってみた。

 小さなお腹の赤ちゃんは、生命力に溢れ、お母さんの体から自分の成長に必要な分をちゃんと根こそぎ取っていってくれるでしょう、と、長男の時も今回も、「つわり」の時は好きなものを食べ、出来るだけしんどいことから遠ざかって時が過ぎるのを待っていた(復活後は果糖や塩分の取りすぎに少しだけ注意した)。

 prenatal vitamin(妊娠授乳期用ビタミン剤)を毎日飲んでいたので、これは偏食になりがちな私の食生活の補助栄養のみならず、ちょっとした気休めにもなった。

一時帰国

妊娠中期までの経過は体重増加、尿検査ともに良好。つわりが消えた後は、長男と気持ちの良いシアトルの秋を満喫。潮干狩りさえも短パンでこなす(自分の体調と相談しましょう〜)。妊娠20週のウルトラサウンドを終えたら、日本に一時帰国をすることにした。

20週のウルトラサウンドでは、全身の骨格からひとつひとつの臓器まで観察。「これが心臓」「今見ているのは背骨」「右手を上げているよ」「指を開いているのは知能が備わってきた指針になるよ」など、詳しく話をしながらの1時間半。たっぷりのウルトラサウンド。このあと日本に一時帰国することなども会話。このときの医師は日本のアメリカ軍駐屯地に赴任していたこともあるそうで、片言の日本語で挨拶をしてくれたり、赤ちゃんが手を振る超音波写真に「konnichiwa(こんにちは)」などと書き込んでくれたりした。異国の妊娠ではちょっとしたことが心に残り、嬉しい。

押尾先生は「日本で何か体調に変化があったら、これを医師に見せてね」とEvergreen Hospitalでのウルトラサウンドの結果のコピーを渡してくれ、「飛行機の中ではエコノミー症候群になりやすいので、1時間に1回程度のトイレ、水分の摂取を忘れずにね」「戻ったらグルコース検査(妊娠性糖尿病)するから、日本では揚げ物食べ過ぎないようにネ」などアドバイスを頂き、いざ日本!

・・・の前に、今回はロスのディズニーランドで朝から晩まで3日間家族で遊び、そのまま私と長男は日本へ、(主人はシアトルに舞い戻り出産費用を稼ぐ?なり〜)というOptional Tourつき。日系の航空会社で日本へ行ったのは、マイレージの都合もあったけれど、やはり気遣いやサービスが一味違い、子連れ妊婦には良かった。

ちなみにこの頃は渡米後5ヶ月経ち、シアトルの街にも慣れ、友達もでき、つわりの時の「身も心もSOS状態」からずいぶんと復活し、一時帰国しなくても乗り切れたかも、とも。時が解決することも多い。

日本へのフライトは約10時間。ジャージー素材で出来た厚手のマタニティパンツが暖かく締め付けず非常に快適であった。それでも長時間座り続けるのは、石を抱えているようなもので、なかなか厳しい。通路を歩いたり、トイレで伸びをしたり、席で足指を動かしたりして体操、あれこれ賑やか?に過ごした。時折、乗務員が水を持って回ってくるときは、飲みたくなくても飲むようにした。

日本滞在

40日に及ぶ日本滞在は、極めて快適で楽しく、私にとってはもちろん、長男にとっても良い時間であった。どうしてもおざなりになりがちな長男への対応も、実家の人手があることで毎日の生活が楽になると、気持ちにも余裕ができ、いつもの育児も楽しくなるというものだ。ホカ弁だって、デパチカだって味わえたし、本屋で名づけの本を探したり、色々なことで楽に気分転換が出来て、新鮮な気分で日本を楽しんだ。

渡米後半年足らずで一時帰国してきた私に友人たちは苦笑していたような気もするが、アメリカでの出産を選んだことには興味深々で、あれやこれやと話をするうちに、私も再確認したり、考えさせられたりすることも非常に多く、良い勉強の機会となった。

日本もアメリカも先進国であるし、どちらも日々多くの赤ちゃんが安全に管理された場所でその産声を響かせているが、妊娠出産育児までシステムはかなり違う。

  初産ではないので、どうしても日本式の長男のやり方が私の基本にあり、日本の新生児グッズをどっさり持って帰るつもりであったけれど、友人達と話をしたり改めて本を見たり考えたりして、「郷に入れば郷に従え」ということで、赤ちゃん綿棒・新生児用オムツ一袋・沐浴剤、それと私の産後ガードルや授乳ブラなどの気になる最低限のものだけ購入、あとのスペースは日々エネルギッシュになっていく長男用の絵本や電車のオモチャに費やした(結局、日本の育児グッズで使えたのは綿棒のみ、こちらのもので十分)

ところで、久々に会った日本の友人達の興味は、「無痛分娩」と「翌日退院」がほとんど。

 この二つに関しては、やはり私も無視できないというか、アメリカでの妊娠中の大きな悩みであり課題であった。長男出産は破水から始まり微弱陣痛解消のための長時間に及ぶ階段昇降や体操でグッタリ疲れ果て、ガクガクと笑い続ける膝を分娩台に踏ん張るのが精一杯、な今思えば少々泣き笑いチックなものであった(のべ29時間半・・・)のだが、無事に生まれた長男は元気いっぱいで、私なりに「無事に産まれて良い出産だったなあ」とひとりでフムフム思ってはいたけれど、冷静に考え直すと二度はごめんだ。

 出産の思い出と言えば、それまで優しく手を取ってくれていた助産婦さんが、いざ出産の時に共に分娩台へ上がり、ガツンガツンといきみに合わせて私の大切な大切なお腹を押し続けた恐ろしい光景ばかりである。でもそれが出産だと思っていた。修羅場だと思っていた。でもその痛み苦しみから逃れることが出来るのであれば、、、、無痛分娩かあ、魅力的だなあと、そればかり考えていた。「翌日退院」を思うと、疲れ果てて退院というのはとにかく避けたいという思いもあった。

  『歯を抜くにも麻酔と使うのに子供を産むのになぜ麻酔を使わない』よく聞く言葉。でも歯を抜くのと傷を縫うのは同じでも、子供を産むのは違うのを知っている。でも子供を産むのがどれだけ苦しいのかも知っている。そしてここアメリカでは無痛分娩が日常的ということも知っている。私はずっと迷っていた。

  無痛分娩にトライしようかなと思っていた。主人は「本当に君がそうしたいのならば」と言った。

  押尾先生は「いいですよ」と言った。

  でも両方とも本心から私がそう思っているのではないことを、きっと見抜いていたのかなと思う。

妊娠後期へ

帰国後、スポーツドリンク臭いオレンジジュース(逆か?)を冷やしてごまかして大量に飲み、その後の血液を調べるというグルコース検査(妊娠性糖尿病)は無事通過。デパ地下から駅前のホカ弁、コンビニまで全て食べつくすつもりで帰国したのを元栄養士の母に見透かされ「食べ過ぎないように」とブレーキをかけられ、家での食事を和食に徹底されたのが効いたらしい。日本を食べ残した感は少しあるものの結果オーライ。。

それから出産までは、年末年始は主人の仕事関係のパーティーに出席させてもらったり、課題であった「運転免許」を取ったり、バンクーバーに遊びに行ったり、体調も良かったので盛りだくさんだった。赤ちゃんが増えると外出しづらくなるだろう、というのもあったし、お父さんとお母さんと両手を繋いでいる長男の嬉しそうな顔を見ると、ぎりぎりまでこの親子三人を楽しもうではないか、という気持ちもとても強かった。週末たっぷり遊んで、月曜日はのんびり家で横になりながら子供の相手、という風に「適度にこなす」ことで、いろんなことがうまくいった。

年明けからは新しく始まったグループ検診となり、出産時期の近いお母さんと会えるようになる。私の参加したグループは2人目、3人目ママが多く、参考になることも多かった。やはり1人目とはなにかと様子が違うのか、陣痛の起こり方はどうか、出産は?、生まれた子供の性格は?なにもかもが参考になるし、なにもかもが参考でしかない。でも同じような時間を共有出来ているだけで、協力出来たり、共感出来たり、グループ検診は病院の検診ということを忘れてしまう空間だった。

  私たち、別に病気じゃないもんね、だけど、それなりに辛いもんね、でも平気だよね、てな感じで。

赤ちゃんの向きがよくない

 胎児は逆子でない限り、頭を下にしているものであるが、頭が下にある、ということだけでなく、その向きも出産に大きく関わってくるらしい。今回初めて知ったこと。

  私のお腹の赤ちゃんは、ずっとしっかり前を向いているらしい。母親が「またケーキを食べている」「また飲茶で頼みすぎている」のを呆然と眺めていたのかもしれない。

  しかしとにかくそれではよろしくないらしい。前向きの赤ちゃんがそのまま産まれようとすると、カーブしている産道にフィットせず出産が進みにくい、ついでに激しい痛みも伴うらしい。

 なでしこのグループ検診時に、先生やDoulaの修子さんや千恵さんに、赤ちゃんのポジション直しの体操を教えてもらう。体操の内容は基本的には骨盤を開いて赤ちゃんの部屋を広げ動きやすくしてあげて、自然な回転をうながす、というもので、うつぶせ&腰高になるもの(Open knee-chest)、イスなどの段差を利用するもの(The lunge)、主人に骨盤を押してもらう練習(The double hip squeeze)などであった。

 どんな体操も、教えてもらわないと普段はしないポージングなので、赤ちゃんの向きを変えるためだけでなく、よい運動&リラックスになった。段差のところを歩こうと、公園に行く目的が子供のためだけでなくなった。

予定日突入、陣痛か!?

何かと私の中の基準となっている、長男の出産。予定日より4日早く生まれたので、次もきっと早くなるだろうと思ってた。日本から母にも来てもらい、予定日前より心が落ち着かない。

 「なんとなくお腹が降りてきた気がする」「そう?そんなに変わってないわよ」「長引いたら無痛に切り替えてね」「はいはいそうね」そんな先生とのやりとりをしている間に、ふらふらと予定日は過ぎていった。夜も眠れるし、足の付け根が痛いとか、不規則な前駆陣痛とか、なんの気配なし。

 特に長男出産の時もそうだったけれど、もともとよく張るタイプだったので、日ごろから「張る」ということに少々鈍感になっているような気がする。長男時はフルタイムで32週まで働いていたので、張り止めの薬を飲みながら(途中で一週間の自宅安静)の妊娠後期であったが、今回は「張ったら休む」「休むときは出来るだけ体を横にする」をモットーに張っても薬なしで乗り切れた。「危ない張り」とそうでないものの区別がつく、というのは、二回目ならではかな、とは思う。

・・でも予定日過ぎの妊婦は、次第にこんなことも言ってられなくなる。そろそろ「危ない張り」くらい来てもらわないと・・・。グループ検診の面々も赤子を抱えてやってくる・・・・ひぇぇ。

 予定日を過ぎると赤ちゃんの命綱である胎盤の機能が低下することもあり、超音波診断を仰ぐことに。傍から見たらどう見ても「これから産みます〜」状態の腹を抱え、Ever Green Hospitalへ。まるで予行練習だ。

 超音波の結果も良好で、胎盤はまだ元気。「赤ちゃんの向き、パーフェクトだよ」の嬉しい言葉も。

 押尾先生は結果を踏まえ、「このままもう少し待ちましょう」となる。帝王切開も陣痛促進剤もなく、それは嬉しい。でもやっぱり不安。針なども試してみようかと思いながらも、2週間越すことはないよね、と楽観して、赤ちゃんを信じてひたすら待つことに。

 予定日1週間を過ぎ、なんだか元気になる。窓拭きしたり、買出しに行ったり、まさに巣作り状態。

 赤ちゃんが骨盤内に頭を固定されると、体が軽くなったような気がしたり、出産が近くなるとテンションが上がることもあるそうで、まさにそういう状態。「突然破水したらどうしよう」なんて不安も消し飛び、「道端で突然産気づいても絶対どうにかなるさ」とアドレナリン出まくりで、むしろいつくるか、いつくるか、と楽しみにもなってきた。

  そしてそれは突然やってきた。UWの桜を愛で、シアトルセンターを闊歩し、すれ違う人に「予定日は?」と聞かれ「先週だよ」「・・・・!!」と威嚇?した週明け月曜日、普段通りに朝食を作り(母は来ていたがダラけてしまいそうなので、出産まで食事作りなどは私がやっていた)、主人を送り出したあと、掃除機をかけていた時に、ギューッと締め上げるような張りが不規則にやってきた。実は早朝に「おしるし」らしきものをトイレで発見していたのだが、「さすがに予定日過ぎると、こういうこともあるかもねぇ〜」くらいにしか意識していなかった(私はこのへんがヌけている)ので、「おしるし→張り→出産」という教科書通りに脳細胞が働いていなかった。それに張ってもしんどいだけで痛みはあまりなかった。と思ったら、張りはギュギューッと強くなったり遠ざかったり、不規則に続くようになり、ここで「アレ、もしかして」と思い押尾先生に電話をする。午前10時すぎ。

 「先生、ちょっと強く張るんですけれど。間隔は10分だったり5分だったりバラバラです。」
「あらぁ、きたかな?痛い?」
「まだそう痛くないです。」
「じゃあ痛くなったら電話してね。」

  そうだよなあ、陣痛はもっと痛いもんだもんなあ。やっぱりまだなのかな。。と思い直しながらも、予定日1週間過ぎて、そうのんびりもしていられないかなと、何かが起ころうとしているのかなという気持ちで会社の主人に電話をしておく。不規則に張っているけれどまだかな、と。でもすぐに再度思い直して、やっぱりすぐに家に戻ってきてと連絡しなおす。Doulaの千恵さんにも連絡をする。

 「お待たせしてたけど、産まれるかも。そうなったら来て貰えますか?」「もちろん行きま〜す!」

 Doulaのシステムを知ったのは妊娠後期に入ってから。出産というプライベートな場に家族以外の人間が入ることに少なからず抵抗が無かった訳でもないが、自分のお産を自分でちゃんと確認したいな、「なんとなく産んでしまった」という感覚を覆したいなと思っていたのと、彼女と話をしているうちに、良いお産というのは自分で作れるのかな・・・という感覚も得、彼女に手助けをしてもらい、少しでも冷静に自分のお産を実感出来たらなと思って協力をお願いした。

 そして、数分後に張りは強くなり、ウッとお腹を抱えてしゃがみこむようになる。体操でやっていた骨盤を開くようなポーズ(Open knee-chest)をすると楽で、自然とその体勢になる。間隔も不規則ながら短くなってきたような気がする。共に家に居た母と長男にも少々緊張が走る。私はと言えば、長男に心配をかけたくなくて、最初は怪しくウォークインクローゼットの中で隠れて耐えていた。

 ソファに出てきてからは、「痛くないよ、大丈夫だよ、赤ちゃん蹴ってるのかなぁ」なんて話す。

 1050分、強い張りと痛みが伴い、波のように押し寄せてくるようになり、再度クリニックへ電話をする。

「先生、痛くなってきた。まだ不規則だけれども。短いときは数分間隔です。」
「そっか痛くなってきたか。じゃあ病院行ってみよう。ご主人連絡した?」
「はい、戻ってきてます。」
「じゃあ11時半に病院でね!」
 

  アパートの5階の我が家から地下の駐車場まで、楽な瞬間を狙って足を進める。主人に掴まったり、そのへんの壁に張り付いたり、しゃがみこんだり、忍者気分。とても長く感じた。他の住人にあったら、この怪しい動きを、どう英語で説明したら良いのかな、などと考えていたような気もする。主人によると「まだ病院行くの早いかも、行っても帰されるかも〜、帰されたくない〜」などとブツブツ言っていたそうである。

病院へ、いざ出産

我が家からEvergreen Hospitalへ、車で向かう。行儀良くなぞ座っていられず、体は自然に前かがみになり、お腹を抱え込み時折襲う陣痛の痛みから逃げようと構える。

 本当は痛み逃しにも効く例のポーズを取りたいのだけれども、車でそんなこと出来るわけ無く、前の座席を抱え込もうとしたり、シートベルトにしがみついたり、とにかく必死。まだかまだかとそればかり。フリーウェイを降りて病院の姿がボオっと見え、手前の信号で止まった時に、グッグッと、

 お腹の赤ちゃんが確実に骨盤を頭で押しているのを感じる。もうすぐにでも産まれてくるのではないかと、赤ちゃんの強い意志のようなものを感じて、めちゃくちゃ焦る。

 赤ちゃんは自分で決めるんだ、決めたんだ、と実感。

 病院の玄関に横付けして、一瞬遠のいた陣痛の合間を見て、主人に手を取ってもらい、受付までダッシュ(という気分で、もちろんダッシュはしてない)。名前を伝えると「ナースが来るからね、車椅子要る?」と聞かれる。リラックスすると産まれちゃう気がして立って待つ。数分待たされてニコニコ爽やかナースが、ゆっくり登場。名前の確認をされてヨロヨロと病室へ。ナースの様子を見て「わたしはもう苦しくて今にも産まれそうに思うんだけど、まだまだなんだろうなあ。」と考えてみる。

 Evergreen HospitalはLDR。陣痛から出産からその後の休息までひとつのベッドでこなせる。

 病室に入り、あ〜ここに要れば赤ちゃんは産まれるだけ、私もベッドに居るだけね、と超安心。

 Doulaの千恵さんがすぐ到着。先生も到着。先生は入ってきてすぐ「痛い?痛いよねえ」と話しながら腰をグッと押してくれる。そうそう、そこなのよ、と途端に安心する。

 入院着に着替えるように促される。痛みの波に翻弄されまくっている私は、痛みの合間の寸暇を惜しんで色んなことをこなそうとするので、今だ!と思った瞬間、その場で服を脱ぐ。そして長男妊娠時から愛用している年季モノの水玉模様のノビノビあったかパンツ(ブルマ風)をさらし、先生に「あらかわいい」と笑われる。しまった、脱いでくるんだった。と思うのと同時に、「着替える場所あるのよー」と、すぐ横のバストイレを教えてもらう。慌てて引っ込み、着替えて出てきたら「前と後ろ、逆よー」と。よく見ればわかることなのに、何も見えてなかった気がする。全くいけてない。しかし自分のドタバタぶりが可笑しくて、一瞬陣痛を忘れていた。ちなみにバスには、新しいお湯がたっぷり入り、それがジャグジーだと知っていた私は、主人にも「ほらっ、ジャグジ〜!」と耳打ちし、「絶対入ってやるぞ」とワクワクしていた。

 着替えてベッドに戻るときの陣痛で、一瞬しゃがみこんで動けなくなった私を見て、先生は「結構進んでいるのかな、(出産)近いかな」と思ったそうである。

 私は入院時は半日以上痛み苦しみと戦うのかなと覚悟していた。

 皆で楽しめるものはと、日本から送ってもらった「はじめてのおつかい」のビデオを用意していた。

 着替えてベッドの上に上がる。もちろん好きなポーズで居ていいらしい。右下の横向きになる。

「じゃあ、ちょっと見てみましょうか」と先生の内診。「・・・・あら、全開!」

 一瞬耳を疑う、が、続いて驚きと喜びと安心とが一気に押し寄せる。もう産むだけだ、もう産むだけだ、そうか、私今から産むんだ〜。何ヶ月もかけて産む準備をしてきたはずなのに、本当のところは、こんなに切羽詰って肝が据わる。どんなものでも来いとばかりに、強くなる。

途端に周囲が賑やかになる。ナースは「全開」という診断を受け、慌てて出産の準備に取り掛かる。数人のナースが機材を持って入ってきたり、パソコン画面に入力していたり、胎児の心拍確認をしたり、病室に10人くらいワンサカ居て、「出産はショーだ!エンターテイメントだぁ!」という気分。

 私はもうすぐ子供を産もうというのに、恥ずかしさも消え、それよりもいきむ時に何か掴みたいなーとベッド周りをさぐる。横向きに寝た私の枕元に点滴などを下げるためのバーが立っていて、具合がいい。何もぶら下がってないこと、そこそこ引っ張っても倒れない、とひとりで勝手に確認して、いきみのパートナー決定。

しかし、そこで長男がパニックになる。それまで私が「うぐぅ・・」と痛がっていても、「お母さん、赤ちゃん産むんだ」と彼なりに頑張って理解しようとしていたようだが(出産ビデオ『うまれるよ』でしっかり何度も予習ずみ)、ナースが私と主人の手首にIDのテープを巻こうとしたところで、「それはなんだ、いったいなんなんだ、なにがはじまるんだー!」とばかりに泣き喚いて大パニック。

 一旦、お父さんと退場。

 子供の泣き声が遠のいていく病室で、先生が周囲にアドバイス。

 「子供がパニックになっている。焦らなくても大丈夫。エネルギーレベルを下げましょう。」と。そんな感じだったか・・・。

 確かに、急に人が増えて、見知らぬ機材が運び込まれ、お母さんは苦しみ、検査され、お父さんは手になにかを巻かれ・・・長男もそこまでは勉強していない。怖いかもしれない。

病室はスウっと静かになり、誰もが一呼吸起き、私もなんとなく冷静になる。陣痛も少し遠のく。

 それを見越したかのように、先生が「お兄ちゃんが戻ってきたら産もうか」と。私も出来ればそれがいい。

 無理やりでも見せたいとか、それが教育だなんて、微塵も思わないけれど、長男はずっと私に「赤ちゃん産まれる時はいたい」と言っていた。小さな子供の主張だって大切にしたい。外に出たけれど、落ち着いて、お父さんに聞かれたら、きっと自分で判断して・・・

 戻ってくるかな。

 しばらくしてまた強い陣痛がやってきた。長男は戻ってきた。

 Doulaの千恵さんは、横向きに寝る私の腰を思い切り押してくれている。押されるたびに、骨盤内のスペースが開くのか、楽になる。あぁDoulaって役割大きいなぁ・・と実感。

 全開と聞いていたので、陣痛の痛みの波の頂点で勝手に思い切りいきむ。あまり急ぎすぎて力込めてもおしもが切れちゃったりしてダメなのよねえ、とか、赤ちゃんは、産道内でどっちむきにグルリと回ってきたのかしら、えっと左からえっと、とか、あまり大きな声でさけんで痛みに耐えている姿も経産婦らしからぬかしら、とか、我ながら今さらながら、よくまぁ色々考えられる脳みそだなと感心する。

 そして・・・

「ほら、お兄ちゃん、もうすぐ赤ちゃん産まれるよ」
(そっか、もうすぐか)

「ほら、頭が出てきたねえ」
(ほぉ、でてきたか)

「ほぉら、産まれたねぇ、男の子かな、女の子かな?」
(はぁ、産まれた、赤ちゃん泣いた!)

 先生と長男の会話とリズムを取るようにして、私の出産は無事に終わった。

 午後126分。超スピード出産、ドドド安産である。

 絶対に女の子!と信じていた私の耳に飛び込んできた「おとのこ!(おとこのこ!)」という長男の声で驚き、名前どうしよ、あのピンクの肌着はどうしよ、と、あっという間に素に戻ったけれども、春の気持ちのよい快晴の空の下で、家族に見守られ、自然な姿勢で自分で産めたお産。何よりでした。

  母が握ってくれていたおにぎりを食べ、痛み止めのタイレノールを飲む。ナースが患部を冷やしてくれたり、トイレに連れて行ってくれたりと、アメリカーンな病院食を除いてはとても快適な入院生活。ブリトーのようにラップされた赤ちゃんの寝顔を見ながら夜通し主人と名前を考える。翌朝、小児科医の検査や聴力検査、出産日の夜と翌日朝に顔を出して下さった先生ともじっくりお話が出来て、無事、Evergreen Hospitalを退院。複数の看護婦が「drug何も使わなかったの?」と聞いてくるのが印象的。自分で歩いて入院してきた女が、30分後に赤ちゃん産んでるんだから、無痛分娩の多いアメリカでは、少し興味深いパターンなのかも知れない。早い出産だったので、家族も報告した友人も一様にその点を喜んではくれたが、私的には、少し主人の到着が遅かったら、あの信号がもっと長かったら、なんて思うと、ぎりぎりのタイミングで入院できたことがラッキーだったとは思いながらも少々怖くなった。

 生後一日の赤ちゃんを連れて帰るのはびくびくだったけれど、家に戻ったらやっぱり安心して、お布団も気持ちが良かった。出産までの時間が短かったので、私含め家族の誰もが体力を消耗せずにいられたのがとても幸いしている。

その後

先生に「男の子かな、女の子かな?」と聞かれた長男は、赤ちゃんの小さくて赤いホニャホニャの顔を「じぃ〜っ」と見詰め、、、「お顔見てもわかんないよ」と突っ込まれて、それからこれまた小さくてホニャホニャのおちんちんを改めてしっかり確認し「おとのこ!」となったらしい。

長男にとっては、お母さんの陣痛が始まり家でしゃがみこんでいるのを見たり、病院の様子に焦って泣いたり、そのあと、出産劇をアリーナ席で見たり、短時間で盛りだくさんの一日で、夜泣きしたり、赤ちゃんを怖がったりするかな、なんて心配もしたけれど、子供は「本当のこと」は全身で受けて納得するのか、どこかでちゃんと消化して、すっかりしっかり、良いお兄ちゃんになっている。

次男も既に1歳を越え、歩き始めてオモチャを壊したり、遊びの邪魔をするようになり、こっちがハラハラするようなケンカもどきもするようになったけれど、「また赤ちゃん来てほしい」「おもちゃは、赤ちゃんにあげるの」と優しいことを言い、2人の子供でバタバタ→イライラとなりがちな私を、いつも反省させる。

渡米する前から「なでしこクリニック」の存在は知っていた。渡米するにあたり、やはり気になるのが自分含め家族の健康。ついでに子供は多い方が楽しいかななどと欲も出てきていたので、「もし妊娠したらアメリカで生めるかな?」というのは大きな課題だった。英語が得意ではないから、と言って、里帰りして生んでいたら出産前後含め最低でもきっと半年くらい家族は離れ離れになる。大きな理由が無い以上、家族は出来るだけ一緒にあらゆる経験を共有する。

 この原点だけを尊重して、それでもそれなりに出てくる不安や不自由さを家族や、また検診の時に先生にお話することによって、なんとなく乗り越えてきたのかなという気がする。あと日本の両親などの協力もあってこそ。

 もちろん、今となっては、別にアメリカ万歳じゃないけれど、やっぱり合理的だったり、母性の保護だったり、いろんな意味で「こっちでの出産、とてもよかったなあ」と思う。結果的に母子共に健康で短いお産だったりということも大きいとは思うけれど、でもそれも大きな器の中で与えられた個人の自由な意志の尊重あるゆえだ。安心の設備の中で自分の出産、日本ではまだ難しい気もする。

出産は毎回違い、その出産が良かったのかどうかは、人それぞれ後から判断されるもの。だけど、お産は予防医学みたいなところがあって、「こうならなように、こうしておく」「こうなったら、こうするという事を話し合っておく」ということがある程度出来るし、それをするしない、ということが、良いお産に繋がるかどうかの大きな分岐点になる。そういう意味で、いろんな場面で、話し合いや熟考が出来たことで、今回の納得のお産になったのかなと思う。

 妊娠できた母親は産む力を持っている。このことを全身で体感した、そんな感じである。

最後に・・・

  私の子供を安全にこの世へ導き、最初に優しく抱っこしてくれた押尾先生、家族、友人はじめ、全ての皆さん、

 本当にありがとう。大切に育てないといけません

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