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音和君、良く来たね
| 赤ちゃんの名前 |
音和(Towa) |
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お父さんの名前 |
Michael Lee Jones Jr. |
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お母さんの名前 |
親泊 洋子 |
| 予定日 |
5/13/2003 |
| 生まれた日 |
5/25/2003 |
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体重 |
7Ibs5oz (3318g) |
予定日が過ぎても、なんの陣痛の気配がない。押尾先生からも「赤ちゃんも、すでに一個の人格をもっているのだから、親の思い通りにならないもの。赤ちゃんが決めたときにちゃんと生まれてくるから」との励ましをうける。予定日から一週間後、「これってうわさのおしるし」っていうサインがり、うきうき先生に報告。その日に陣痛があるのかもと思っていたが甘かった。24時間から一週間かかるケースもあるということ。陣痛ってきたら絶対に分かるって本にも書いてあったし、先生もおっしゃっていたしと思いながら、ひたすら散歩、ヨガ、つぼ押し、Evening
Primrose Oilを飲み、促進に効果がるというのもを続ける。
金曜日の午後11時、「あれっ、今のもしかして陣痛?」っていう腹部の痛みが…..。間隔を計るとたしかに10~15分間隔。いよいよかしらと思いながら12時までまって、もう一度きたら、先生に電話しようと思っていると、パタッと止まってしまいあきらめてベッドにはいる。午前2時ごろ、また陣痛らしき痛みで目が覚める。一時間くらいうとうとしていると、どうやら今度は定期的にきているようだ。痛さが増してきたので、午前3時から時間をメモにとり始める。そのうち、主人が起きてきて、病院へ持って行くリストの最終チェックを始める。午前7時を待って押尾先生に電話をいれる。お風呂に入ってしっかり体をやすめ、食事をとることとアドバイスを受ける。眠さと痛みのなかで「いよいよだわー」っと湯船で2時間ぐらいうとうと、陣痛の合間にあわせて休むことが出来た。しかし、なかなか10分間隔から縮まらない。それどころか、10分、6分、10分、15分、10分・・・とばらばらになってきてる。まったく、生理不順だったけど、陣痛まで不順になるなんて・・・。お昼ごろ押尾先生が電話をくださり、とりあえず予定日も超過しているし、3時頃まで様子を見ましょうとのこと。3時に病院に向かう。検査してみると、子宮口は既に4cm開いているとのことで、そのまま入院。
胎児の心音が気になる動向をしているといことで、しばらくモニターは装着したままにすることにする。チェックインすると同時にだんだん陣痛も強く感じるようになる。まずは主人と廊下を15分ぐらい散歩する。部屋にもどると、吐気がある。急激に出産が進行するとよく吐気があるそうだ。先生と看護婦さんの予測では、調子で進むと午前0時までには、生まれるはずだった。「あと6時間で我が子に対面だー」と精神的にも肉体的にもまだまだ余裕である。その後は、ロッキングチェアー、ジェットバス、バースボール、ビーンバッグと先生のアドバイス通り、いろいろポジションを変えて陣痛の波を越える。気がつくとあっという間に時計の針は午前0時。このあたりから私の記憶は途切れ途切れになる。午前3時ごろ子宮口開大8-10cmに。胎児の頭も大分下がってきて位置もOK,あとは俳臨を待つばかり。「陣痛がきたら、いきんでもいよー」とのこと。だんだん。陣痛の強さもこの辺がピークで、主人と押尾先生の腰のマッサージなしでは、絶対に一人では耐えられない痛さだったは覚えている。
赤ちゃんは、もうすぐそこまで・・・。午前4時ごろ、人工破水をして一気にいきみだすことに。午前6時、何度かポジションを変え、Commodeに座り、再度胎児の位置を確認する押尾先生の顔が曇る。胎児の頭が再び上がってしまったようだ。こういったケースは稀で、この位置ではいくらいきんでも、体力を浪費するだけで、出産はできないとの説明があった。(後で推測するに、へその緒が首や頭にぐるぐる巻き付いていたのではなかったかと。頭の位置をチェックするときに、耳が探せなかったということと、へその緒がかなりよじれていたということを考慮すれば、結構うなずける推測である。すると赤ちゃんは自分で危険な状態から回避したのかなーと、偉い奴とすでに親ばかな私はそう思うのである。)再び胎児の位置を戻すことになり、逆戻りしなければならず、この先何時間かかるかわからない。私の体力を心配した先生は、エピドゥラルを提案される。できるだけ、自然分娩でとは思っていたが、胎児に悪影響があるのだけは絶対にさけたいし、赤ちゃんだって私とここまで付き合ってくれてつらい思いをしてるのだから、後は先生にお任せして一番安全な方法で産もうと決意する。午前7時、エピドゥラル注入。しばらくは休んで陣痛の波が強くなったからいきむことに。しかし、なかなかいきみだすための強い陣痛がこなかったようだ。というのはエピドゥラルが効いているので、今まで感じていた陣痛がうそのようにまったく感じない。モニターをチェックする押尾先生と看護婦さんのGOによって、言われるがままにいきむだけである。これで、やっと我が子に会えるのかとおもいきや、私の出産ストーリーはまだまだ続く。
エピドゥラルのひとつの副作用として、血圧が下がるらしい。通常でも。85/60前後の低血圧の私は昇圧剤を注射される。一本では効かず、幾本か注射される。気がつくと私の血圧が159/99、心音もかなりあがってるのは自分でも感じた。胎児のほうの心音も、今まで110-130を維持していたのが、90以下に落ちることがしばし出てきたようだ。それに加えて、胎児の位置もかなり下がっていることもあり、心音のシグナルがなかなか探せないというチャレンジもでてきた。ちょっと前に、主人にへその尾を切りたいかと和やかな会話をしていたスタッフみんなの顔に緊張がうかがえる。私は、「大丈夫、大丈夫。絶対健康で無事にうまれてくる」と祈りに更に力が入る。主人をみると、彼も「大丈夫」と微笑みをかえしてくれる。出産のクライマックス。吸引して出すために緊急で医師と3人の看護婦が追加される。一刻も早く赤ちゃんをだすこと、経膣分娩の最後のチャンスだ。モニターの陣痛の波をみながら、押尾先生が、「さーいきんでー!」と、合図する。エピドゥラルが効いているためなかなかうまく感覚がつかめない。2回吸引に失敗してしまい、会陰切開をされてしまう。先生が「赤ちゃんの生死にかかわるわよ、思いっきりいきんでー」と叫ぶ。ありったけの体力を振り絞り、祈る思いでいきむ。「そー、上手、上手、頭がでてきたわよー」と声が聞こえる。うまくいった様だ。「よかったー」。次の瞬間おぼえているのは、赤ちゃんの産声。思わず、嬉しさと緊張感からの開放で涙がこぼれる。「無事に産まれてきてくれて本当にありがとう」って感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。5月2日午前9時36分、無事に長男、音和(TOWA)出産。
そうそう、もうひとつ記述すべきことが・・・。最後のいきみの時、実は陣痛なんてきてなかったそうです。待っても待っても来ないので、胎児の心音を気にする先生は、これ以上待てないと、いきみの合図をだしたそうです。まさに陣痛なしで、いきみの力で産み出したとは、看護婦も先生も感心していました。学んだ教訓は、出産って本当に予想がつかないハプニングの繰り返し、母子安全第一に、柔和に取り組むべし。両親学級で5人それぞれユニークな出産体験を聞いて、自然分娩に固執するのはやめるようにとある程度、ハプニング対応も準備もできていたので、素直に押尾先生のアドバイスを聞くことが出来たと思う。
最後に陣痛が始まって30時間、そばで励ましてくれた主人、夜勤のシフトが終わっても最後まで出産に立ち会ってくれたEvergreen
Hospitalの看護婦Julie
Cleveland(私の出産の時は、最後まで根を上げなかったことを思い出すわ。”What
an incredible honor it was to be at Towa’s delivery!”と出産直後も私を励ましてくれた。)そして長い出産をうまくリードしてくれた押尾先生に感謝はつきない。長かった、いろいろな出産体験をさせてもらった。でも、自分の中では、いやなお産体験だったとか、思い出したくない難産だったという気持ちは不思議とない。いまでもハプニングやチャレンジを含めて押尾先生をはじめ、本当に良いスタッフに恵まれたいいお産だったと思う。これが可愛い我が子が選んだ出産劇、ハッピーエンディングだったのだから、ポジティブに受け取るしかないでしょう。。。ねぇTowa・・・・。
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